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「あの日」から

· essayistic

一か月あまりが経った。

「つもり」というのは、あてにならない。

心の整理をつけた、「つもり」でいるのに、悔しさはふとした拍子に、冷蔵庫を開けたときとか、バスに揺られているときとか、しれっと顔を出す。

一日に何度も、思い出さないようにしているのに。

最終的には、行かなくてよかったのだ。

そう思わなければ、やっていられない。

けれど、納得のいかないまま終わった理不尽な出来事というのは、記憶のなかで腐りかけた玉ねぎみたいに、じわじわ臭ってくる。

「忘れた方がいい」と頭ではわかっているのだ。

だけど、感情はそう簡単に片づいてはくれない。

この歳にもなって、感情をうまく扱えないのは、ちょっと情けない。

ときどき、自分が自分のなかの子どもに説教しているような気分になる。

このひと月というもの、思い出したくないから、意識的に考えるのをやめていた。

ごろりと横になって、眠る。

読まなくてもいい小説をめくってみたりして、でも集中できずにまた眠る。

しなければいけないことが、目の前にあるのに、だ。

そんな折、例の代表からメッセージが届いた。

「今ごろ? その内容?」

つい、スマートフォンに向かってつぶやいてしまった。

そういう人だったのだ。

上っ面の、情に薄い、言葉に重みのない。

それがわかっただけでも「これでよかった」のだと、自分に言い聞かせている。

でも、そんな組織に関わり、一喜一憂していた自分を思うと、どうにもやりきれない。

背筋を伸ばして鏡を見て、「お前、何やってんの?」と言いたくなる。

じゃあ、この出来事から私は、何を受け取ればいいのだろう。

しばらく、考える時間が要りそうだ。

あまりに無神経だった。

人は、ほんとうに心がないと、あんな言葉を書けるものなのだ。

必要とされていなかったことが、今になってようやく、はっきりした。

必要だったなら、もっと動いてくれたはずだ。

できることをしたはずだ。

何もなかったのだ、向こうからは。

それなのに「これからもよろしく」なんて。

人の心をどう思っているのか。

つくづく驚かされた。

一昨年2023年から2024年にかけて同国史上最悪のコレラアウトブレイクが発生していた。

その国へ派遣するのに、組織として健康診断の確認もしない、ワクチンも「自己責任」という言い草。

人を大事にしない。

言葉も態度も、どこかで人を見下している。

人を使い捨てる匂いがする。

もし、あの場所で働いていたら——

やっぱり、私の心は持たなかった。

これでいい。これで終わりだ。

これ以上関わっていたら、きっと私は壊れていた。

人は、それぞれが選んだ生き方を大切にしなければいけない。

もう、眠ろう。

悔しさに引きずられずないように。