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初夏の向こうに

赤土の記憶

· narrative

あの日から、47日と15時間10分―4,115,400秒

数字にしてしまえば妙に無機質だ。大きいのか小さいのか、わかるようで、わからない。けれど、時は命、それは重く、その中身を思うとすぐに顔を持ちはじめる。眠れぬ夜の数、痛みに眉間を押さえた時間、隣家の灯りにひとり射抜かれた瞬間。

「ようやく、その日のことを語れるようになった。」

彼はそう言って、笑わなかった。

「いや、今も、正直きつい」

三十年前、僕らは同じアフリカの赤土を踏んだ。ケニアとウガンダの境に近い乾いた土地で、井戸の掘削を見守り、壊れたポンプに部品をあてがい、夕暮れには診療を待つ人びとへ水を配った。

夜、彼は小さなランタンの灯の下で手帳を開き、予定と支出、そしてその日の失敗を書き留めた。

「記録しておくんだ。同じことを二度と繰り返さないために」と。

五十代半ばの彼が、再びアフリカへ向かおうと決めたのは数年前。

今年に入って北九州の認定NPOが、僕らが汗を流したあの国で駐在員を募集しているのを知り、彼は、文字どおり「満を持して」応募した。

「体が動くのはあと十年くらいだろう」彼は言う。

両親を早くに亡くし、新聞配達をしたり、家庭教師をしたりアルバイトをして学費を工面し、東京の国立大を出た。アフリカの現場で感じた疑問を整理するため、英国の大学院でも学んだ。当然、働き金を貯め、奨学金を得て、のことだ。

彼の語り口はいつも淡々として感傷に溺れない。

それがかえって胸に残る。結婚後は子育てと介護で自分を後回しにしてきた。

「若い世代が力を思う存分発揮できるように後方からサポートしたい」

彼は英語やフランス語など語学力が衰えないよう勉強を続け、昨年は大型特殊免許を取り、重機研修を受け、生成AIの試験に合格し、知識をアップデートするためJICAの母子保健の能力研修にも出た。

僕は「お前は、相変わらずだな」と内心笑った。

書類は即日通過し、一次の現地面接、二次の代表面接も滞りなく進み、3週間あまりで採用が決まった。

桜の開花予報が流れはじめた頃だった。

最後に現れたのは事務局長を務めるという検井スギル。

彼は「事務局長」、とは言わす「理事です」と名乗った。

その小さな違和感は、やがて輪郭を持つ。

赴任は七月の予定だった。彼は七月に予約済みの人間ドックがあると伝える。

五十代半ばの人間を長期でアフリカに送るのなら、出発前に健康を確かめるのが順番だ。

ところがスギルは「五月に一度行って、帰国して人間ドックを」と提案した。

十数万円の自腹、限られた一時帰国枠、現地医療体制の乏しさ―彼にとっては、ネジが一本、床に落ちる音だった。

彼はNPO団体の経費的な、金銭的な負担を軽くするつもりで、社会保険の扱いも柔軟にと申し出た。だって、NPOの活動は善意の寄付で成り立っているのだから。

スギルは「大事なことです」と声を弾ませ、「内定通知と業務委託の契約書案を送る」と言った。だが、事はそこから少しずつ狂い始める。

・・・つづく